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19歳のショーン マーシーのタバコメッセージ |
タリヒーナ高校の最も卓越したスポーツ選手、ショーン マーシーは400メートルリレーアンカーとして28のメダルを獲得した。彼のクラスメートはくるみの木の盾を送り名誉を称えた。彼は舌から始まり急激に転移していくガンとの10ヶ月の闘いの後に19歳で死亡した。 |
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最後の闘いの前のショーン マーシー
2月25日の早い時間だった。ショーン マーシーは妹に向けて疲れ果てた微笑をかざし、人差し指を空に向けた、一時間後、19歳でショーン マーシーは死亡した。丁度10ヶ月前18歳の高校最高学年でトラック競技の花形選手だった彼は州の陸上競技大会の決勝戦を週末に、また高校の卒業を一ヵ月後に控えていた。ショーンが口を開けて舌の上にできた醜いただれを母親に見せたのは丁度その時だった。母親は、看護婦であったが、ひと目見て心が打ちひしがれるのを感じた。
12歳から噛みタバコとかぎタバコを使用しておりめったに切らすことが無かった。ニコチンが切れるとまたニコチンという生活で一日半で一缶の嗅ぎタバコを常用していた。母親が彼の秘密を発見したときには彼女はかんかんに怒った。タバコは煙があるとないとにかかわらず、いかに危険なものであるのかを説明しようとしたが、彼は母親の言うことを信じようとはしなかった。彼はトラックチームのほかの少年だって使っていると文句を言った。コーチだって知っているのに気にもしていないと主張した。有名なスポーツ選手は使っているし煙の無いタバコを宣伝していると主張した。それが危険であるはずがない。ついには母親は根負けした。
しかしいま、炎症を起こした赤い点は中に白い核を持ち、50セントほどの大きさになっており、舌に存在している。「残念だがショーン」咽頭科の専門医、カール フック医師は言った。「潰瘍は良性のように見えない。生体組織検査が必要だ。」ショーンは度肝を抜かれた。ニコチン依存を除いては、酒は飲まないし、喫煙はしないし、体には最高の注意を払っていた;食事に留意したり、ウエイトを持ち上げたり、年間6ヶ月は8キロのランニングを欠かさなかった。それがこの有様だ。どうしてそんなことが起こり得るのだ?「嗅ぎタバコがそんなに体に悪いということは知らなかった」ショーンは言った。「残念ながら舌のその部分を切除しなくてはならない」フック医師は言った。高校の最高学年の若者は無言だった。彼はやっとのことで「週末の州のトラック競技会では走ることができるのでしょう?」と聞いた。「そして来月には卒業も?」フック医師はうなずいた。
5月16日にフック医師は手術を行った。ショーンの舌は予期していたよりも多くの部分を取り除かなくてはならなかった。さらに悪いことには、生体組織検査の結果が戻ってきて腫瘍はガン陽性だった。ショーンが放射線治療の医師に診察するための手はずが整えられたが、治療を始める前に首に腫れたリンパ節が見つかった。それはガンが転移したという不吉な兆候だった。もはや病根を除去するための首の手術が必要であった。
フック医師はショーンに最も過酷な選択肢を選ぶよう穏やかに薦めた;下あごの右側、リンパ節、筋肉と動脈を除いた血管をを切除すること。多少顔が陥没するが顎が顔の表面を支えることになるだろう。
母親は泣き出した。ショーンは自身が切除手術を受けることを承諾するように促された。彼は、噛みタバコの残滓を吐き捨てて叱られるどころか、それを飲み込んでしまうほど容貌を心配している一人のティーンエイジャーだった。彼らは十分間沈黙のまま座り込んでいた。それから母親は「顎の骨は嫌だ。顎の骨を切除しないで。」と彼がつぶやく様に言ったのを聞いた「判ったよショーン」フック医師は優しく言った。「しかし残りは切除せざるを得ないんだ。」6月20日ショーンは二回目の手術を行った。八時間に及ぶ手術であった。
学校では6月、最も卓越したスポーツ選手の名誉を称えるために150人の学生と教師が集まりを持った。ショーンは受賞式に参加することはできなかった。コーチとその助手がショーンの家を訪ねて賞を手渡した、くるみの木の盾を。彼らはスター選手の耳たぶから胸骨まで、まるで電車の線路のように走った巨大な傷跡を見ないように努めた。傷の無い方の口元でゆがんだ微笑を浮かべショーンは礼を言った。
5週間の癒しと放射線療法の後、8月にショーンはフック医師に熱意を持って挨拶した、生きていることがただ嬉しかったのだ。奇跡的にショーンは回復した。フック医師はショーンが自分の超越した身体条件が病魔に打ち勝てると心から信じているのだろうと思った。このレースにも彼が勝利することを期待しようと考えた。
しかし10月、ショーンは頭痛を持ち始めた。CTスキャンは二つの新しい悪性腫瘍が触手を伸ばしているのを示していた、ひとつは背中を下り、もうひとつは脳の土台の下でとぐろを巻いていた。11月ショーンは三度目の手術を行った。その手術は彼の恐れていた顎の骨の切除手術とそれ以上のものであった。手術台での10時間のあと、ショーンは四本の巨大な廃液管、30センチもある三日月形の傷からと、喉から突き出した呼吸用の管と、鼻の穴からの補給用の管、腕の静脈からの二本の管、を取り付けられていた。ショーンはまるで「神様、お母さん、タバコがこんなに僕を傷つけるとは知らなかった」とでも訴えるように母親を見た。
一家はクリスマスのためにショーンを家へ戻した。一月のある日、その時でさえショーンはまだ楽観的であった、左頬の内側に新しい塊を見つけるまでは。生体組織検査の結果を病院が電話で知らせてきた時に母親が出た。電話を聞いているときに母親が静かに涙を流すのを見てショーンは悪いニュースであることを知った。電話を終えたとき、彼は母親の腕の中にいた、そしてこの悪夢が始まって以来初めて鉄のようにタフなショーンはむせび泣き始めた。数分間ののち彼は居住まいを正して言った「心配しないで。僕は大丈夫だから。」彼がいつもそうであった勝利の走者のように、彼はまだ自分のラストスパートに信頼を寄せていた。
ある日ショーンは母親にまだ嗅ぎタバコが欲しくて仕方がないと打ち明けた。「僕はいまチョット行って嗅ぎタバコをやってくるという自分を捕まえたんだ。」そして彼は、高校のローっカールームへ行って「タバコをやればどういう姿になるのか」を選手達に示してやりたいのだがと続けた。彼の姿かたちは十分に説得力を持つという自信があった。
死の少し前にショーンは神様が僕を救わないと決めたのには理由があるに違いないと母に言った。母はショーンの遺産はこの話を広めて、望むらくは「他の少年が死なないようにする」ことだと確信した。ショーンが口を利くことができなくなったとき一人の友人が他の若いスポーツマンと共有したいことがあるかと訊いた。鉛筆を手に持ってショーンは書いた「嗅ぎタバコはやるな。」2月25日の朝、ショーン マーシーは最後の息を吐き出した。
1985年リーダーズダイジェスト、著者ジャック フィンチャー 題名「ショーン マーシーの煙の無い死」p.107 〜 P.112 からの引用と事実、写真を使用して編纂した。
June 2000, John R. Polito, Founder www.WhyQuit.com
翻訳:西田季彦
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